「ポトスライムの舟」(津村記久子)①

働くって何だろう?と問い返された気持ち

「ポトスライムの舟」
(津村記久子)講談社文庫

工場勤務の契約社員ナガゼは、
世界一周クルージングの
ポスターに目をとめる。
旅行費用163万円は、
彼女の一年間の収入と同じ。
一年分の働きを
世界一周に換算できることに
思い至ったナガセの
労働に対する意識は
変化していく…。

自分の1年間の稼ぎで
世界一周旅行ができる、
よし、頑張ろう、というような
脳天気な小説ではありません。
働くことの意義、
生きていくことの価値、
私たちの暮らす社会のあり方、
働き方の問題、…、ここには
現代社会が抱えている課題が
いくつも見え隠れしています。

そもそもふと考えたとき、
29歳女子で年収が手取り163万円。
1ヶ月の給料が13万6千円。
持ち家があるとはいえ、
築50年のいつ壊れても
おかしくない物件。
すでに働いていない母親との
2人暮らしであることを考えると、
健康なうちはいいのでしょうが、
薄い床板一枚下には奈落が
広がっているような状況でしょう。

事実、ナガゼは切り詰めた生活を
送っていて、自分のための買い物を
しているようすはうかがえません。
このような不安を抱えた生活が、
今の若い世代の
少なからぬ割合を覆っているとしたら、
この日本は何と貧しい国なのでしょう。

ナガセは工場勤務のほかにも
パソコン教室の講師のアルバイトや
友人の経営する
カフェの手伝いもこなし、
土曜日曜も働きづめです。
働かなければならないという
強迫観念にとりつかれているのです。
自分の腕に
「今がいちばんの働き盛り」と
タトゥーを入れて、
常に自分の怠け心を
律しようとするあたりは
真面目を通り越して
異常な感覚といわざるを得ません。

きちんと働かなければ
人として認めてもらえない。
そんな呪縛のようなものが
私たちの身のまわりにも
漂っているのではないでしょうか。

何のために働いているのか
わからないナガセが、
自分の年収額と
世界一周旅行の費用が
ほぼ同一であることから
見つけはじめた「働く目的」。
そして友人を含む
周囲との交わりの中で
考え始めた「働く意義」。
働くって何だろう?
私がいつも子どもたちに
投げかけている問いを、
本書から逆に
問い返されたような気持ちです。

大きな解決が
あるわけではありません。
しかし、かすかにともる灯を、
両手でそっと覆って
消えないように守っていく。
そんな救いのある作品です。

(2019.7.8)

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